作品とは
新年になり、作品展が2月の下旬に迫る今、自分なりに過去を振り返ることもあるのです。
作品として突然、目の前に出現するなら、それはとてもつまらないことに感じます。昨日今日見たばかりのもの事に刺激を受け、衝動にかられることもありますが、
実際に作るとなるとインパクトと根の深さのような重みがないと叶えられませんし、作品というものはいったいどこら辺のことを言うのでしょうか。
家具職人として独立した日よりずっと前から、当たり前ですが木のことは知っていました。今思えば20代、修行中に見たことや感じたことは時を経て、残るべくして心の中に混ざっています。それから10年、さらに10年、さらに10年。
今日も私は実際に木を削りながら家具作りの日々を過ごしています。だから、木の個性は日々体を通して、五感全てから伝わってきてしまうのです。そして、また一生活者でもあります。建築空間と家具というものの作用副作用のような現象を感じてきました。作ることと使うこと。
今思えば、若い頃は木の個性の一部だけを選り好んでいたようです。木には、たくさんの個性があることに、ゆっくりじっくりと自分自身の経験と喜びや悲しみとともに、知っていくのでした。
私が42歳のころ製作した水楢のダイニングテーブル。今から10年前、自分の感性を信じてみようと意識した仕事です。1人では持ち上げられないのに1人でしか向き合えない命と命のコミュニケーションでした。自分が経験してきた先入観や好みの向こう側にある喜びやトキメキなのです。こちら側とは理性や知識や今を生きる日々が支配してくれていると感じています。
向こう側と感じるものは、いったい何なのでしょう。
そして作品とはいったい何なのでしょうか。
楽しく作る(作れる)こと、愛されるものであること。
2025.01.08